吉良邸への討ち入りを成功させた後、大石内蔵助はじめ赤穂浪士の集団は御首を掲げて、泉岳寺まで徒歩で向かいました。
後日、切腹となった浪士たちは数人ごとに各藩に預けられましたが、肥後細川家に預けられた大石内蔵助以下浪士17人はここで腹を切ったとされます。
切腹まで各藩に預けられた浪士たち、藩によってその対応は大きく異なるものだったようです。
肥後熊本藩細川家 十七名
伊予松山藩松平家 十名
長門長府藩毛利家 十名
三河岡崎藩水野家 九名
伊予松山藩松平家 十名
長門長府藩毛利家 十名
三河岡崎藩水野家 九名
上屋敷、中屋敷、下屋敷とは?
No.274 福岡藩の江戸屋敷-霞ヶ関・赤坂・渋谷・白金- | アーカイブズ | 福岡市博物館を参照
江戸屋敷の役割と福岡藩の実態より (上記サイトより)
1-上屋敷は藩の公邸として使用、参勤交代で江戸にやってきた藩主の正式な住居。
江戸滞在中は幕府要人との交渉や仲の良い大名との交流が行われ、屋敷内では能や蹴鞠(けまり)を開催。
藩主の正妻の住居、多くの世嗣(せいし)がここで誕生。
藩主が帰国した後は、上屋敷に詰めている江戸留守居(るすい)が幕府とのパイプ役となり、藩政を担当。
2-中屋敷は世嗣や家族の住宅として用いられる、半ばプライベートな空間。
前藩主の夫人や早世した嫡子の夫人が住むことが多かったよう。
上屋敷が罹災した場合は、この中屋敷が公邸となり、藩主が滞在して、幕府の使者を迎えました。下屋敷を拝領するまでは、ここは「麻布(あざぶ)下屋敷」と呼ばれていました。
3-下屋敷については、大名の隠棲地として用いられる他、資材置き場や荷揚げ場等が置かれるなど、多様な目的に使用。
江戸の郊外に置かれたため、避難場所として使われることも多くあり。
他藩では広大な敷地を利用して大名庭園を造営することがよく見られますが、福岡藩の場合も六代藩主継高が渋谷の下屋敷を遊猟用の休息所として利用しており、趣味のための場所としても使われていたことが窺えます。
1-上屋敷は藩の公邸として使用、参勤交代で江戸にやってきた藩主の正式な住居。
江戸滞在中は幕府要人との交渉や仲の良い大名との交流が行われ、屋敷内では能や蹴鞠(けまり)を開催。
藩主の正妻の住居、多くの世嗣(せいし)がここで誕生。
藩主が帰国した後は、上屋敷に詰めている江戸留守居(るすい)が幕府とのパイプ役となり、藩政を担当。
2-中屋敷は世嗣や家族の住宅として用いられる、半ばプライベートな空間。
前藩主の夫人や早世した嫡子の夫人が住むことが多かったよう。
上屋敷が罹災した場合は、この中屋敷が公邸となり、藩主が滞在して、幕府の使者を迎えました。下屋敷を拝領するまでは、ここは「麻布(あざぶ)下屋敷」と呼ばれていました。
3-下屋敷については、大名の隠棲地として用いられる他、資材置き場や荷揚げ場等が置かれるなど、多様な目的に使用。
江戸の郊外に置かれたため、避難場所として使われることも多くあり。
他藩では広大な敷地を利用して大名庭園を造営することがよく見られますが、福岡藩の場合も六代藩主継高が渋谷の下屋敷を遊猟用の休息所として利用しており、趣味のための場所としても使われていたことが窺えます。
赤穂浪士関係は、こちら↓もどうぞ。

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忠臣蔵が好きな人は是非訪れたい場所のひとつが、この吉良邸跡

御菓子司 新生堂(2024年8月) 海外へのお土産にはこれ!名菓子切腹最中
いつからか知って以降大好きな和菓子、餡子たっぷりの切腹最中
新橋に行く機会があれば、行ってみたい和菓子屋さんが新生堂です。
切腹最中取扱店は羽田空港で購入したことあり。


