トゥールスレン虐殺博物館/Tuol Sleng Genocide Museum(2012年8月) カンボジア歴史の暗部

カンボジア
クメールルージュの収容所跡、トゥールスレン虐殺博物館

カンボジアの負の歴史とも言えるトゥールスレン虐殺博物館/Tuol Sleng Genocide Museum
クメールルージュ政権下で多くの人たちが捉えられて拷問を受けて亡くなっていったという収容所跡となります。

さとう
さとう

当時存命中の生き残りの1人と会う機会があり、言葉にならない苛酷な人生について、色々と考えさせられました(もう1人いつも来られている方で絵描きがいるとのことでしたが、その方は体調を崩しているのこと)。
自分自身、どのようにつらいことがあろうとも、それはたいしたことではなかったと思えたものです。

トゥールスレン虐殺博物館こと「S-21」は、元々は高校(フランス植民地時代に作られたリセ)だった施設を、革命に学問は不要という方針のクメール・ルージュが1976年に反革命分子を収容し拷問して芋づる式に仲間を炙り出す施設として転用し創設されたとされています。
トゥールスレン虐殺博物館こと「S-21」では、稼働していたわずか2年9ヶ月の間に推定で1万4000人〜2万人もの人々(ほぼ全てが反革命分子などではない一般の民衆)が収容されて拷問を受けた末に虐殺され、生き残り(生存者は)はわずか8人〜10人(正確な数値は不明)とされています。

カンボジアの歴史

9~13世紀 現在のアンコール遺跡地方を拠点にインドシナ半島の大部分を支配。
14世紀以降 タイさらにベトナムの攻撃により衰退。
1884年 フランス保護領「カンボジア王国」。
1953年 カンボジア王国としてフランスから独立。
1970年 ロン・ノルら反中親米派、クーデターによりシハヌーク政権打倒。王制を廃しクメール共和制に移行。
親中共産勢力クメール・ルージュ(KR)との間で内戦。
1975年 KRが内戦に勝利し、民主カンボジア(ポル・ポト)政権を樹立。同政権下で大量の自国民虐殺。
1979年 ベトナム軍進攻でKR敗走、親ベトナムの「カンプチア人民共和国」(プノンペン(ヘン・サムリン)政権)擁立。
以降、プノンペン政権とタイ国境地帯拠点の民主カンボジア三派連合(KRの民主カンボジアに王党(シハヌーク)派・共和(ソン・サン)派が合体)の内戦。
1991年 パリ和平協定。
1992年 国連カンボジア暫定機構(UNTAC)活動開始(1992~93年、日本初の国連PKO参加。)
1993年 UNTAC監視下で制憲議会選挙、王党派フンシンペック党勝利。新憲法で王制復活。ラナリット第一首相(フンシンペック党)、フン・セン第二首相(人民党:旧プノンペン政権)の2人首相制連立政権。
1997年 首都プノンペンで両首相陣営武力衝突。ラナリット第一首相失脚。
1998年 第二回国民議会選挙。第一次フン・セン首班連立政権。
1999年 上院新設(二院制へ移行)。ASEAN加盟。
2004年 第二次フン・セン首班連立政権発足。
シハヌーク国王引退、シハモニ新国王即位。WTO加盟。ASEM参加決定。

カンボジア基礎データ|外務省
カンボジアの過去・現在・未来 元在カンボジア日本大使 篠原勝弘 より(PDF)
新生カンボジアの展望(PDF)