タイの名門大学チュラロンコーン大学จุฬาลงกรณ์มหาวิทยาลัย、通称チュラจุฬาฯ
実はタイ語を習ったのは、この大学の文学部のコースでした。
文学部に入るとクラスに男がいるが、卒業までにいなくなるという冗談を文学部の学生から聞いたのもこの頃(退学するのでなく、卒業するまでにそちらの道に入るという冗談)。
なお、サイアムスクエアなどを歩くと白い靴下をはいている制服姿の女子学生はチュラの1年生(何故か白い靴下を履く 今もこれが行われているか?は不明)。
チュラとカセサート大学の学生はニシットという特別な呼び名となります(あとはナックスックサー)。
理由は寮学生が主だったためと教えられました(真偽は不明ながら、チュラのサンスクリット語専攻の先生曰く)。
ちなみにタイの名門大学は、チュラ、タマサート、カセサート、そしてチェンマイと言われていましたが、今も同じなのでしょうか?

ここの文学部の外国人にタイ語を教えるコースに通ったのは、1996年のことでしたので、ざっと30年前のことです(諸々あってクラスが中断、途中から日本語学科の先生たちがクラスを受け持ってもらった変則的な年)。引き続き、文学部の准教授クラスが授業をしてくれたのでラッキーだったのかも知れません(その後は大学院生等が教えるようになったと聞いたことがありますので)。
日本語学科の先生たちにはお世話になりました(2人くらい発音が悪くて、補修迄やってもらった)。
やはり語学習得には声に出して文章を読むというのがよいようです。
この日は懐かしい風景を味わいながら、文学部に近い裏門から入って、正門から抜けました。
再訪するのは2回目、1回目はなんとタイ語を教えてくれていた先生にもばったり会うなどびっくりしたものです。
また構内をバスが走っていたのにも、驚きました。
そう言えば、文学部の食堂もエアコンが入ったものになったと聞きました(当時はオープンエア)。
当時通ったコースの流れをくむタイ語コース(一度やめたので、再編成されているはず)

จุฬาลงกรณ์มหาวิทยาลัย
จุฬาลงกรณ์ チュラロンコーン
มหาวิทยาลัย マハーウィッタアヤーライ(大学)
こちらの大学とラムカムヘン大学はมหาวิทยาลัย(大学)という単語が大学名の前にきます。
王様の名前のため
มหาวิทยาลัยธรรมศาสตร์ ←タマサート大学はこのように、ธรรมศาสตร์(タマサート)があとにきます。
ちなみにタマサートという名は、元が法律学校だったのが大学名の由来。
公式サイト(下記の背景)はピンク色、実は大学のカラーはピンクなのです。
ちなみにチュラと双璧をなすタマサートはブルー
1917年3月に設立(タイ初の高等教育機関)
チュラロンコーン大王(ラーマ5世)による教育制度を改善(公共部門と民間部門の両方で働く有能な人材を育成すること)が基礎となる。
1871年 王宮敷地内の王室従者兵舎に学校が設立。
1882年 チュラロンコーン大王は学校を改築し、「スアンクラープ」と命名。
1899年 官吏養成学校設立の建議を提出され、(生徒は卒業前の3年間、王室の侍従として働かなければならなかったため)1902年に学校名は王室侍従学校に変更)
1911年1月1日 ワチラーウード国王(ラーマ6世)は、に王室従者学校を高等教育機関に昇格させ、チュラロンコーン国王公務員大学と命名。
政治学から、法律、国際関係、商業、農業、工学、医学、教員養成など、より多くの分野へ拡大。
王族、政府関係者、そして一般市民からの寄付金を活用し、チュラロンコーン大王の像を建立。
完成後、集まった資金のうち約80万バーツが王室財務省に残り、この資金と利子の蓄積、当初の資本金として使用。故ワジルンヒス皇太子の宮殿を大学の敷地として寄贈提供。
1915年1月 大学の最初の建物として管理棟が建設。
1917年3月26日 国王は父王の追悼として、大学をチュラロンコーン大学と改称することを宣言。