タイの観光地であり、日本が残した戦跡のひとつカンチャナブリーに行ったのは2008年の5月のこと、自分としては約13年ぶり/2回目の訪問。
90年代にバンコクに住んでいた頃に個人で行った時には、会社の車で行ったものの、まだ途中の道は舗装されていない箇所もあって、かなりきつい行程でした。
2008年は鉄道にも乗ることができ、価値ある現地ツアーでした。
戦時中日本の負の遺産とも言える泰緬鉄道はこういう場所に・・・・・・という感想です。

さとう
泰緬鉄道に関しては、様々な本が出版されています。
ここでは敢えて小説「奥のほそ道」(著者:リチャード・フラナガン ブッカー賞受賞作)をご紹介します。
ご興味がある方は、ご一読を!
バンコク発、Kanchanaburi(カンチャナブリー)Nakhon Pathom(ナコーンパトム)一日ツアー 2008年5月 〜タイ(カンチャナブリー、ナコンパトム)
バンコクからの一日ツアー「Kanchanaburi(カンチャナブリー)」に行った。そこは、泰麺鉄道、ハリウッド映画「戦場にかける橋」で有名な…
バンコクからの一日ツアー「Kanchanaburi(カンチャナブリー)」に行った。
そこは、泰麺鉄道、ハリウッド映画「戦場にかける橋」で有名な場所(ただし、映画の撮影地は実はスリランカだったらしい 2015年2月のスリランカ旅行記をご参照=>こちら)
朝7:00に宿泊しているインターコンチネンタルホテルのロビーにマイクロバスが来て乗車
他のホテルに寄り、日本人のもう1グループと一緒
バスはバンコクからトンブリ側に渡り、順調に高速道路をとばす。
まずは巨大なパゴダで名が知れたNakhon Pathom(ナコーン・パトム)に到着したのが、8:10
世界一の高さの120.45メートルの黄金の仏塔、プラ・パトム・チェディがそびえ立つ。
パゴダはさすがに巨大
思わず見上げると背後に転びそう、と書くのは大袈裟か?
再び8:40にマイクロバスに乗り、目的地カンチャナブリ-を目指す。
1990年代半ばに一度行った時と比べると、道が格段によくなっていた。
13年もの歳月を感じる。
カンチャナブリ-の街に到着し、まずは博物館(JEATH)を見学
名前は、J=Japan、E=England、A=Australia、T=Thailand、H=Hollandの頭文字
ここは民間で経営されているところらしい。
日本軍が戦争捕虜を使って泰緬鉄道を造った模様や捕虜の悲惨さが思いしのばれる。
そして、戦没者慰霊棟なども見学
勿論、戦場にかける橋の全景を眺めた後、実際渡ってみる。
日差しが暑い日だった。
カンチャナブリ―駅は田舎の駅ながら、お土産屋さんが並んでいた。
昔使われていたのだろうか、SLが野ざらしで展示
11時に列車が駅に入ってきた。
時間通りだと笑顔のガイドさん
この列車に乗車、泰麺鉄道体験(ナムトック線)!
さっそく列車は、River Kwai Bridge(クウェー川鉄橋)を渡っていく。
橋の上を歩く観光客は、待機場所で列車が通り過ぎるのを待つ。
身体を乗り出すと、鉄枠に当たりそう・・・・・・。
かなり揺れる客車、駅にとまると地元の人達が降りてゆく。
この列車は確実に地元の足になっている様だった。
固い座席と振動の中、思いのほか長時間乗る事になろうとは・・・・・・。
近くにはイタリア人の団体、通訳も賑やか。
日本人の我らは歴史に想いを馳せ、列車に酔った。
12時を過ぎると列車は険しいカーブへ(写真右)
建築当時多くの戦争捕虜や労務者が命を失った地区
我々はThamkasae(タムカセー)の駅で降りて、レストランに向かう。
ランチは下記写真のレストランで、ローカルごはん
昼食後は線路沿線を歩いたり、洞窟(仏像)を見に行ったりして休憩終了
13:30、帰りはマイクロバスで一路バンコクへ。
雨が降り始めた。
インターコンチネンタルホテルに到着した時(16:45)、けっこうへとへとだった記憶がある。
マイクロバスでの少人数のツアー
何よりも強制的にお土産屋さんに立ち寄る事がないのがよかった。
参加ツアー:ウェンディ―ツアー(ウェブサイトは=>こちら) 費用1700バーツ(2008年当時)