2023年4月7日に千鳥ケ淵戦没者墓苑を訪問
海外で命を落とされた方々の御霊にお参りをいたしました。
宗教色を排した墓苑の中は、静寂の中、どこか透明な雰囲気があり、木々のみどりと桜の淡いももいろが、記憶に残っています。
きな臭い世界情勢ですが、戦争のない世界がいつかくればと思います。
施設詳細については下記↓
墓苑の施設等 | 千鳥ヶ淵戦没者墓苑
千鳥ケ淵戦没者墓苑は、昭和34年(1959年)国によって建設され、戦没者のご遺骨を埋葬してある墓苑です。先の大東亜戦争では、広範な地域で苛烈な戦闘が展開されました。この戦争に際し、海外の戦場 において、多くの方々が戦没されました。戦後、戦友等によりご遺骨が日本に持ち帰られ、又昭和28年より海外の遺骨収集が開始されました...
2023年のソメイヨシノの花は散っていたものの、多少残る桜とその他の桜を千鳥ヶ淵で眺めて、こちらを訪れました。
堀を歩くことはあっても、考えてみると初めての訪問でした。
海外の戦場で戦没した軍人・軍属で約210万人それに戦火に巻き込まれて死亡した一般邦人約30万人、合わせて約240万人。
昭和27年頃から、政府により遺骨の収集が開始、遺骨収集に伴い、収集した遺骨で氏名不詳のため遺族に届けられない遺骨をどうするかが大変大きな問題。
昭和28年12月、国でそれらの遺骨を埋葬する墓を建設することが決定。戦没者の墓の建設が具体化するまでには、建設用地の問題等に関して紆余曲折。
昭和31年11月、千鳥ケ淵の側にあった宮内庁管理用地を使用して、建設されることになりました。
昭和33年7月漸く着工の運びとなり、昭和34年3月28日、戦没者墓苑は竣工。
昭和27年頃から、政府により遺骨の収集が開始、遺骨収集に伴い、収集した遺骨で氏名不詳のため遺族に届けられない遺骨をどうするかが大変大きな問題。
昭和28年12月、国でそれらの遺骨を埋葬する墓を建設することが決定。戦没者の墓の建設が具体化するまでには、建設用地の問題等に関して紆余曲折。
昭和31年11月、千鳥ケ淵の側にあった宮内庁管理用地を使用して、建設されることになりました。
昭和33年7月漸く着工の運びとなり、昭和34年3月28日、戦没者墓苑は竣工。