シンガポール国内のマレー鉄道敷地がシンガポールに引き渡されることになり、引き上げ最後の日にはジョホールバルのサルタン自身車両を運転して去るというドラマテックば幕切れが行われた14年前の2011年6月末日、多くの人たちがタンジョンパガー駅に集まりました。
タンジョンパガー駅から伸びる鉄道敷地は、その後公園(ウォーキングトレイル)になっています。
タンジョンパガー駅については下記ご参照
2027年のウッドランド駅からのマレー鉄道完全撤退に関して、どういう趣向が行われるのか?これから楽しみです。
2010年9月20日におけるシンガポール‐マレーシア間のマレー鉄道敷地に関するStatement
*ウッドランドのマレー鉄道敷地がどうなるか?は現段階では不明。
ちなみに記事の題名は、「さようなら銀河鉄道999」にかけたものでした。
さようならマレー鉄道KTM(Keretapi Tanah Melayu Berhad) @Tanjong Pagar(タンジョン・パーガー)駅 2011年6月30日 〜シンガポール〜
シンガポールとマレーシアの歴史的な日、2011年の6月30日にTanjong Pagar(タンジョン・パーガー)駅で最後の列車を見送った。
シンガポールとマレーシアの歴史的な日、2011年の6月30日にTanjong Pagar(タンジョン・パーガー)駅で最後の列車を見送った。
Johor Bahru(ジョホール・バル)のサルタンにより運転されてタンジョンパーガー駅を出発する最終列車
シンガポールとマレーシア政府の合意のもと、返還されたマレー鉄道のシンガポール国内軌道の土地(タンジョンパーガー駅~ウッドランド駅)。
長年両国の懸案だったこの鉄道沿線の土地の返還とイミグレーションの設置場所は大きなトピックの1つだった。
これにて、(2003年11月に我々自身もシンガポール-クアラルンプール往復にマレー鉄道を利用した時に経験したシンガポール出国時)タンジョンパーガー駅でマレーシアへの入国をし、ウッドランド駅でシンガポールからの出国をするという変則的なイミグレーションは解消した。
お昼はBukit Timah(ブキティマ)駅を見学
貼られていたタイムテーブルには、ブキティマ駅の表示があった。
既に乗客には使用されていなかった駅だと思っていたが・・・・・・。
続いて、最終列車の時間を確認、近くでビールを飲みながらその時を待つ。
そして、暗くなった夜、最後の列車を見送る為に、タンジョンパーガー駅に行ってみた。
人が溢れる駅のホームと列車周辺
この様にこの駅舎に人が集まるのは久しくなかったのではなかろうか?
返還日、タンジョンパーガー駅を出る最後の列車はジョホールバルのサルタンが運転しての出発
出発前に列車と列車にのぼり、記念写真を撮る人、そして人
翌日からは、Woodland(ウッドランド)駅がシンガポール側の列車の発着駅となった。
今現在タンジョンパーガー駅は、祝日などに時々一般に公開されている。
2015年6月15日には、ウッドランド駅とJBセントラル駅との間にシャトル列車が7月1日から運行される事、同日から長距離列車(KLからとバタワースから)は、ウッドランドまで行かずに、JBセントラル駅どまりになる事が合わせて発表された。
シャトル列車、2015年7月の乗車体験記は下記