宮崎ブーゲンビリア空港(2023年10月) 宮崎県の空の玄関はこちら

旅行記2023年
宮崎県の玄関口 宮崎ブーゲンビリア空港

2023年10月の一時帰国時、大分市と宮崎市双方に行くために、往路は羽田空港経由で大分空港に降り、復路宮崎空港から羽田空港を経てシンガポールに戻りました。

さとう
さとう

自分にとっては何度も利用した馴染みのある空港のひとつです。
最大回数利用しているのは、言わずもがなチャンギ国際空港ですが・・・・・・。

いつの間にか、ブーゲンビリアの名を冠しての呼び名になりましたが、最初「え!」と驚いたものの、まぁいいんじゃないか~とも思います(たぶん外国人の友人と英語で話す場合には、省いてMiyazaki Airportと言うでしょうけれども)。

藤城清治の作品が好きなので、次回はタッチパネルのある3階に行き、空港の目玉「神話のステンドグラス」を、もう少しじっくり見たいと思います。

藤城清治(プロフィール) → 藤城清治|藤城清治美術館(公式ホームページ)

プロ野球ともゆかりの深い宮崎

空港名の由来
2014年10月に宮崎空港の愛称が「宮崎ブーゲンビリア空港」に決定。
ブーゲンビリアは県観光の父と言われた岩切章太郎氏が普及に努めた花で、宮崎空港のシンボル的存在であり、また、南国をイメージさせる花であり、本県の温暖な気候や温和な人々の心、温かなおもてなしの精神を表しているとして、3,048件の応募の中から選定。
さとう
さとう

宮崎への一時帰国でつらいところは、東京経由だと通り過ぎて戻り、福岡空港からだと九州内の陸路が遠すぎることです。

夜の空港はどこか寂しい

空港沿革について

昭和18年(1943年) 旧海軍飛行基地として建設(1)
昭和29年(1954年) 戦後一時閉鎖の後、昭和29年に運輸省航空大学校の訓練飛行場として再開
同年、極東航空(現ANA)が大阪~福岡~宮崎線を開設。民間空港としてスタート
昭和37年11月(1962年) 岩切章太郎初代社長(2)が資本金4,500万円で宮崎空港ビル(株)を設立
昭和38年3月(1963年) ターミナルビル(1,979㎡)が完成
昭和41年(1966年) ローカル空港としては初めてジェット機(B727-100)が東京線に就航
折りからの新婚旅行ブームに乗るなどの好条件が揃い、乗降客数は順調に増加(3)
平成2年3月(1990年) ジャンボ機等の大型機が就航可能な滑走路延長工事(1,800m→2,500m)に併せて、新ターミナルビルを建設
平成8年7月(1996年) ローカル空港では全国初となる空港連絡鉄道「宮崎空港線」が開通(4)
平成13年4月24日(2001年) 国際定期便としてソウル線(週3便)が就航し、翌年5月には宮崎初の免税店をオープン
平成20年6月1日(2008年) 台湾(台北)~宮崎 国際定期便就航
平成27年3月28日(2015年) 香港~宮崎線就航
平成27年8月28日 LCC ピーチ・アビエーション関空線就航
平成29年10月(2017年) 国際線専用5番コンコース・固定橋延伸とステップレスPBB供用開始
平成29年12月 LCC ジェットスター成田線就航 LCC イースター航空ソウル線就航
日本初小型機対応ロングPBB供用開始
平成30年3月(2018年) 国際線専用出発保安検査場供用開始
令和元年5月(2019年) 「神話のステンドグラス」完成

神話のステンドグラスは一見の価値あり!
写真はぼやけていますので、是非とも空港に足を運んでご自身の目で眺めてください。

ステンドグラス原画藤城清治/制作臼井定一

上記は公式サイトより抜粋

(1)この時期の九州の航空基地と言えば、特攻隊の基地となる。空港沿革には海軍基地とあるが、元々陸軍の基地であり、陸海軍の特攻隊機が出動。宮崎特攻基地の碑 鎮魂之碑|公益財団法人 特攻隊戦没者慰霊顕彰会 慰霊碑・資料について | 宮崎特攻基地慰霊碑奉賛会
(2)宮崎県を観光地として発展させた功労者。宮崎の観光の父と言われる。
(3)昭和40年代 宮崎は新婚ブームに沸く 宮崎県季刊誌「Jaja」じゃじゃ
(4)JR九州の電車が空港まで乗り入れている地方空港では極めて便利

観光宮崎の象徴 フェニックスと宮崎交通

施設等の詳細情報は、公式サイト ↓