ナイ ラート パーク ヘリテージ ホーム バンコク(2016年11月) *旧ブログから転載 バンコク市内にあるプライベートミュージアム

タイ観光
都心のオアシス、ナイラートパーク
別ブログ過去記事を多少編集し移行。
そのまま掲載当時の記載方法にて掲載しています。宿泊当時(2016年)の情報としてお読みください。
なお、評価等はあくまでも個人的な感想ですので、ご注意ください。
~今後少しづつ過去記事を移行予定~

スイスホテル ナイラート パーク(下記)は閉業しましたが、同族グループのプライベートミュージアム&レストラン等は営業(2025年現在も継続中)。

なお、Aman Nai Lert Bangkokが関係ホテルとなっているようです。

現在の情報は下記のオフィシャルサイトをご参考にしてください。

下記、オリジナル記事はリンク先がおかしくなっているのでご注意ください。

Nai Lert Park Heritage Home Bangkok(ナイ・ラート・パーク・ヘリテージ・ホーム・バンコク) 2016年11月 〜タイ(バンコク)〜
Nai Lert Park Heritage Home Bangkok(ナイ・ラート・パーク・ヘリテージ・ホーム・バンコク)は、ホテル(スイスホテルナイラートパーク=>こちら)敷地横にあったオーナー一族の住居だったところ

Nai Lert Park Heritage Home Bangkok(ナイ・ラート・パーク・ヘリテージ・ホーム・バンコク)は、ホテル敷地横にあったオーナー一族の住居だったところ
最後までそちらに住んでいたナイラート卿の娘にあたるおばあさんThanpuying Lursakdi Sampatisiri死去(2010年)後に、その孫が住居に改装を加えて、博物館として一般公開したもの
ミャンマー国境近くのタイ北部から伐採されたチーク・ウッドを使われて建てられた建物は、ミャンマースタイルの建築と言われる事も多いようだが、ヨーロッパが東南アジアを統治時代のコロニアル調に影響を受けている建物

敷地内にはナイラート夫人Khunying Sinのレシピを活かしたタイ料理店マメゾンとおみやげ屋さんがある。

ホテルからは、敷地の庭園内に入口がある(ホテルが営業を停止した後には、こちらの入口はなくなる可能性あり)。
敷地へのメイン・ゲートは、Som Khit Alley側(駐車場あり)
見学のチケットは、Nai lert Store(ナイラート・ストア)にて購入
チケットには、レモネードの1杯無料券(上記写真は既に使用済)、マメゾン、Pae Kanom(パエ・カノム 訪れた時はこのお店はまだ完成前)、ストアの各10%割引券付
チケットナンバーを見るとA00164とあるので、もしかしたら自分は164人目の見学者かも知れない。
建物は2棟あり、住居からミュージアムにするにあたって、手前の棟は柱を数センチ高く持ち上げるリノベーション工事が行われた(洪水による被害を防ぐ為?)。
建物の左手前(建物から出て)にある池は第二次世界大戦時に連合軍の爆弾が落ちたところで、手前の建物はその時に大破した為、その後同じ設計で立て直されたもの
手前の建物の前には防空壕として使用された井戸が残されている。
奥の建物の向こうはWittayu Road
その建物に面して運河から船で入って来られる様に、水路がひかれてあったそう。
そこにはキッチンがあり、ナイラート夫人が料理を差配したそうだ。
手前の建物の中心はリビングとなっており、一族の写真などが飾られてある(ソファ上部の2人はナイラート夫妻)。
こちらで現ホテルオーナー(ナイラート卿のひ孫)に連なる家系図も見る事ができる。
手前から奥の建物へは数段の渡り廊下兼階段でつながっている。
奥の建物のダイニングルームは、ナイラート卿の娘にあたるホテル創業者が各国王族を食事でもてなした部屋
秋篠宮一家もこちらを訪れたという。
ホワイト・バスやホワイト・ボート
自家用車
車の向こうの右側に見える小さな建物は納骨堂
以前は邸宅の中の祠に置かれてあった遺骨が新たに建てられた納骨堂に移されている。
運河へつながっていた船の乗り場跡
ナイラート卿夫人が陣取った言われる部屋
家族で食事を取ったダイニングはこの横にあり、また夫人の身体を考えてトイレはこのフロアに設置されていた。
ナイラート卿の娘がその晩年までを過ごしたという部屋は、彼女の品を展示
日本政府から勲章をもらった時の賞状が飾られている。
元々ナイラート卿の土地として、プルンチット通りのセントラルエンバシーからイギリス大使館、そしてここ(ヘリテージ・ハウス)、さらにホテルの運河に至る広い土地が所有されていた。
以前はその広い土地に多くの従業員とその家族(約1,000人)が住んでいたらしい。ホテルがある場所には、ここで育ったタイの画家(猫の絵で有名 当ブログ内も掲載)に家を建ててあげたりという事もあったらしい(現在のホテルの敷地)。
ナイラート卿が商売で訪れたシンガポールで目にしたマークを自らのトレードマークとしたという
4つの感情を意味するとされる。
・愛・優しさ
・同情・哀れみ
・喜び
・平静・沈着
これは島津の家紋
もしかしたら、島津藩の密貿易か何かの船でも見たのだろうか?と想像した。
調べると卿の生誕は1872年、時は既に明治時代
バンコク滞在3日目の夜は、ma maison(マメゾン)でナイラート夫人のレシピを再現した料理に舌鼓
・ホーモックカーオ ホーモックプラ― Steamed rice and fish curry in banana leaves THB160
こちらはこのお店の一押しのカレー味のライスがバナナの皮に包まれた一品
・ゲーンマッサマンヌア ルー ガイ Tender beef or chicken in massaman curry THB280 ・・・・・・写真はチキン
ムスリムのカレーという意味、お勧めは鶏肉
・カーオホームマリ Jasmine Rice  per order THB50
・ビール Asahi THB120
・ナムマネット Lemmonade THB120
炭酸入りのレモネードジュース・・・・・・ミュージアムチケットに無料についているものと同じ
Service charge 10% VAT 7%
Total THB859.21

Nai Lert Park Heritage Home Bangkok(ナイ・ラート・パーク・ヘリテージ・ホーム・バンコク)
Heritage Home Viewing 見学ツアー
木・金曜日 11:00 14:00 16:00
02-655-4775&4776
*パーティなどでの貸し切り使用も可能
ma maison(マメゾン)
月曜日~木曜日 11:00~14:30 18:00~23:00
金曜日~土曜日 11:00~14:30 18:00~01:00
電話:02-655-4773
*上記施設が貸し切りの場合にはレストランも臨時休業になるので注意
*過去にもMa Maisonフレンチ=>La Dolce Vita at Ma Maisonイタリアン=>Ma Maisonフレンチと数回の変遷があり、場所もホテル内にあった様
Nai lert Store(ナイラート・ストア)
10:00~19:00
*Tシャツや小物類や上記見学ツアーのチケットの販売

休憩所のマークは幸運を意味するマークだったか?
ナイラートグループの事業展開
1894年 ナイラート卿22歳でバンコクで輸入品の商売を開始
1907年 ナイラート卿バンコクで最初のバス事業を開始
1910年 氷・ソーダ・シェルのモーターオイルなどの販売に事業拡大
1913年 タイで初めてFiat車を輸入、貸し出してタクシー事業を開始
1915年 プルンチット地区を購入、開発
1922年 ホワイトボート社開始、公共交通機関としてSaen Saep運河からPhrakhanongやBang Kapiまで船を運行
1925年 Saphan Lek Larngに製氷工場を建築し氷の製造を開始
1927年 ナイラート・ビルディングをCharoen Krung–Sri Prayaに完成 9階建ての建物は商業ビルとしては当時一番高い建物
1930年 ホワイトバス社を設立し(イギリスから輸入したエンジンを使用)、最初のバスルートPratunamーYotse bridge(Yotse line)にバスを走らせた。
1967年 ナイラート・オフィス・ビルディングをSukhumvit Soi 5に完成
1983年 The Hilton International BangkokをNai Lert Parkに(設立が1984年と記載されているものもあり)
1984年 Bhakdiビルディングを完成(ラマ9世よりその名を授けられる)
1993年 プロムナードとナイラート・タワーが完成
2004年 Swissotel Nai Lert Parkと、HiltonからRaffles Internationalへとホテル運営が替わる(ホテルのオーナー企業は同じ)。
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2016年 ホテルの売却を発表(ホテルは2017年1月4日にて閉鎖)
クーデター後の1976年10月から翌年10月まで首相を務めたThanin Kraivichien内閣で、タイ初の女性閣僚(運輸大臣)を務めたLursakdi Sreshthaputa(ホテル創業者)の夫は、初代日本タイ国大使の子息
*ナイと卿は同じ意味ながらも音の語呂がよいので、あえてナイラート卿と記載しました。
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