別ブログ過去記事を多少編集し移行。
そのまま掲載当時の記載方法にて掲載しています。宿泊当時(2017年)の情報としてお読みください。
なお、評価等はあくまでも個人的な感想ですので、ご注意ください。
~今後少しづつ過去記事を移行予定~
フィリピンのマニラ/ボラカイ島に行ったのは、今から約10年前のことでした。
マニラでの宿泊は、2箇所(ソフィテルとマニラホテル)。
ソフィテルはボラカイ島に行く前に少し休息するため、マニラホテルはマッカーサーが部屋を持っていた歴史的なホテルとして興味があり予約。
ボラカイ島の宿泊はシャングリラも考えたのですが、予算とロケーションの関係で選択せずにビーチ側のホテルを選択(ボラカイ島が観光客の増大により、一時閉鎖になったのはこの後でした)。
シンガポール‐マニラ往復は、安心して乗ることのできるシンガポール航空利用です。
ボラカイに行くのにフィリピン航空に乗りましたが、正直もう再度乗りたくないというのが正直な感想です。
さとう
この旅行では、飛行機・ホテル・現地ツアーすべて個別に自分で予約しました。
フィリピン旅行記(行程・予算など) 2017年1月・2月 〜フィリピン(マニラ・ボラカイ)〜
2017年の旧正月休みの旅行先はフィリピンのマニラ・ボラカイ 1日目 1月27日(金曜日) マニラへ移動シンガポール航空でマニラへ
2017年の旧正月休みの旅行先はフィリピンのマニラ・ボラカイ
1日目 1月27日(金曜日) マニラへ移動
シンガポール航空でマニラへ
ホテルチェックイン後に知人と待ち合わせ、会食
2日目 1月28日(土曜日) マニラ戦跡ツアーに参加
マニラ戦跡ツアー・・・・・ネルソンタワー、アメリカンセメタリー、フィリピン空軍博物館、アメリカ大使館、アーミーネイビークラブ、キアポ、教会、マニラ防衛隊司令部跡、マニラホテル、イントラムロス、マニラ大聖堂、サンチャゴ要塞、サンオーガスチン教会、第十二陸軍病院跡、メトロポリタン劇場、サントトーマス大学など、車上からの見学も含む。
3日目 1月29日(日曜日) マニラ滞在
モールオブアジアにショッピングの予定を変更して、一日ホテルに滞在
4日目 1月30日(月曜日) ボラカイ島へ移動
フィリピン航空でカティクラン空港へ、ボラカイ島に移動後ホテルにチェックイン
5日目 1月31日(火曜日) ボラカイ島滞在
6日目 2月1日(水曜日) ボラカイ島にてアイランドホップ参加
7日目 2月2日(木曜日) マニラへ移動
ボラカイ島からカティクラン空港へ移動し、フィリピン航空でマニラへ
8日目 2月3日(金曜日) マニラ滞在
9日目 2月4日(土曜日) シンガポールへ
シンガポール航空でシンガポールへ
マニラ前半・・・・・・ソフィテル泊(3泊) ホテル詳細は=>
こちら
ボラカイ・・・・・・ヘナン・リージェンシー泊(3泊) ホテル詳細は=>
こちら
マニラ後半・・・・・・マニラホテル泊(2泊) ホテル詳細は=>
こちら
出発までの諸準備
今回旧正月の休み期間に合わせて、検討した旅行先
・オーストラリア(メルボルンもしくはパース)
・ベトナム中部の数都市、インドネシア(スラバヤとその近郊)
・台湾(具体的な場所は未検討)
・そしてフィリピン(マニラ)など
最終的に旧正月の為、人の移動やお店の休業などの影響を受ける国を避けて、諸条件を絞り込み、最終的にフィリピンのマニラに行く事にした。
まずはシンガポール‐マニラ間往復の航空会社はSQ(シンガポール航空)と決め、マニラでの宿泊先を検討
この旅行は年末年始のジャカルタ旅行と合わせての予算を考えた(ジャカルタで少し節約して、マニラではいいホテルに泊まるなど)。また、せっかくなので、マニラだけではと考え、マニラ郊外もしくはマニラ経由で他にも足を延ばそうと計画
マニラのホテルを何処にするかも合わせて検討した。
最初に問い合わせをした日系旅行代理店のマニラ発のツアー(ビガン等)で興味深いものを見つけたものの、マニラで泊まるホテル(ソフィテル)のプロモーション価格を利用する購入期限までにまともな回答が届かず、断念
結果、自分でボラカイ島へのエアチケットと島でのホテルを予約し、合わせてマニラ滞在の前半と後半に異なるホテルを予約
SQでマニラIn ソフィテルに宿泊
PRでボラカイIn ヘナン・リージェンシ宿泊
PRでマニラIn マニラホテルに宿泊
SQでマニラOut
各予約のスケジュール
10月13日 シンガポール航空(シンガポール-マニラ間)の予約
10月18日 マニラホテル(マニラ滞在後半)を予約
10月21日 フィリピン航空(マニラ‐ボラカイ間)航空便を予約 ソフィテル(マニラ前半宿泊)を予約
マニラ‐ボラカイ間のフライトは、実際フィリピン航空の子会社のPAL EXPRESS(ボラカイへはカティクラン空港を使用)
・Manila (MNL)
Ninoy Aquino International Airport TERMINAL 3
2017年1月30日月曜日 ETD09:00
・Caticlan (Boracay) (MPH), Godofredo P Ramos Airport
2017年1月30日月曜日 ETA10:00
PR 2059 Bombardier Q400
・Caticlan (Boracay) (MPH), Godofredo P Ramos Airport
2017年2月2日木曜日 ETD14:55
・Manila (MNL), Ninoy Aquino International Airport TERMINAL 3
2017年2月2日木曜日 ETA15:55
PR 2064 Bombardier Q300
@Check-in counters close 45-minutes before departure time. Boarding gate closes 15-minutes before departure time.
10月23日 ヘナン・リージェンシを予約
11月14日 既に予約したシンガポール航空よりメールが届く。
帰り便が機体の変更の為に座席が変わりました、と。
帰り便をチェックして、勝手に先方からアロケーションされた座席から座席変更
嫌な予感がして行きの便も確認すると、座席番号は同じながら、行き便も機体変更されており、配置が異なる(もう一方も座席ナンバーは同じながら、機体変更されており、位置は全然異なる席)。
じっくりチェックすると、リクライニングが制限される座席と判明
ぶつぶつとSQに恨み言を呟きながら、これも座席変更をした。
フィードバックフォームで困る旨のクレームを送っておいたら、サービススタッフから電話があり、せっかく2人席を取っていたのに残念だと伝えると、空いているから取ろうか?と言われ、自分の方でチェックしたら既に誰かが取っている旨を返答するも、それでも空いていると言われる。せっかくなので、取ってもらった。
どうも空き情報画面は一般に公開されているものと、スタッフが見ているものとは違う様で “不思議”
まだ旅行は先だぞ!とため息の11月、スーパームーンは曇ってぼんやりと見えるだけの夜の出来事
マニラ1日観光のツアー参加を考えた。
コレヒドール島へのツアーも当初考えていたが、ボラカイ島にも行くという事であまりにもマニラでのスケジュールがハードになるのも嫌だったので、今回はマニラ市内のツアー1つに絞って検討
結局、マニラ戦跡ツアーに決め、予約
11月23日 下記のスケジュール変更のメールが届く。
Your flight from Caticlan, Philippines (MPH) to Manila, Philippines (MNL) on Philippine Airlines flight PR2064 on 02 Feb 2017 has been changed.
From Caticlan, Philippines (MPH) to Manila, Philippines (MNL)
PR2064 => PR 2054
Depart 02 Feb 2017 02:55 PM => 4:35 PM
Arrive 02 Feb 2017 03:55 PM => 5:30 PM
11月24日 フィリピン航空のオフィスに行って、色々と確認
理由はフライトの変更の為
変更後のフライトを再考して、行きと帰りのフライトの変更を行った。
PR 2041 ETD12:00PM ETA12:55PM
AIRBUS INDUSTRIE A320 JET
PR 2042 ETD1:25PM ETA2:15PM
AIRBUS INDUSTRIE A320 JET
機体はボンバルディアと思っていたので、スケジュール変更後にジェット機に代わったと気がついたのはマニラでの搭乗時
改めてメールを見るとA320と明記
後日、フィリピン航空は既にこの路線はボンバルディアは使用していないと聞いた。
1月6日 フレンドシップツアーの【 ツアー名 】 マニラ戦跡ツアーに申し込み
1月11日 フィリピン航空から再びスケジュール変更の連絡が入る。
Your flight from Caticlan, Philippines (MPH) to Manila, Philippines (MNL) on Philippine Airlines flight PR2042 will be on 02 Feb 2017. Your original flight schedule has been changed. Please be advised of your new flight schedule.
PR2042
From Caticlan, Philippines (MPH) to Manila, Philippines (MNL)
Depart 02 Feb 2017/01:25 PM => 02:00 PM
Arrive 02 Feb 2017/02:15 PM => 03:15 PM
さすがに精魂尽き果てて、あきれた。
しかし、フィリピン航空はこれで終わらなかった・・・・・・(詳細は後日記載予定)。
1月21日土曜日 シンガポールのノベナのMRT駅改札同階のマネーチェンジャーで1,000シンガポールドルをフィリピンペソに換金(レート1ドル=34ペソ)
他は現金400シンガポールドルを持参する事にした。
*実はここでエクスチェンジしたペソに問題があったと知ったのはマニラ(詳細は=>
こちら )
1月25日 出発前にソフィテルとSQからチェックインの案内メールが届く。
また、予約をした現地ツアー会社からも確認のメールが入った。
1月26日 朝にチェックインを済ませた。
旅行の予算
シンガポール航空 SGD349.10x2人=SGD698.20
フィリピン航空 PHP13,978=>SGD413.82(Rate SGD1=PHP33.78)
ソフィテル PHP18,816.00 =>SGD553.57(Rate SGD1=PHP33.99)
ヘナン・リージェンシー PHP28,560.00=>SGD837.14(Rate SGD1=PHP34.12)
SGD2,502.73
現地でのカードでの支払い
ソフィテル PHP11,552.31=>SGD340.19(Rate SGD1=PHP33.96)
ヘナン・リージェンシー PHP8,748.50=SGD254.74(Rate SGD1=PHP34.34)
マニラ・ホテル PHP20,745.15=>SGD605.36(rate SGD1=PHP34.27)
PHP145.00=>SGD4.23
SGD1,204.52
現金での支払い(SGD1,000.00)
マニラでの戦跡ツアー、ボラカイでのアイランドホップは現金で支払い。
マニラホテルチェックアウト時に余分なPHP4,500.00を支払いの一部に充てる。
SGD1,000.00
旅行総費用 SGD4,707.25
~フィリピン旅行をお考えの方へ~ フィリピン(マニラ・ボラカイ)旅行のてびき 2017年
フィリピンについて(基礎知識)
正式国名 フィリピン共和国/ Republic of the Philippines
国 旗 太陽の8つの光は、独立運動に立ち上がった8つの州(パンパンガ、ブラカン、リサール、カビテ、バタンガス、ラグナ、タルラク、ケソン)
3つの星はルソン、ビサヤ、ミンダナオの3つの地方を
下部の赤い色は勇気、上部の青い色は高い政治目的、左側の白い色は平和を表している。戦争時には赤い色を上側にして掲げる。
面 積 フィリピンの総面積は29万9404(日本の約8割) 7,107もの島から構成される島国
人口 9,586万人(2011年、出所:IMF) 首都メトロ・マニラの人口は約1,155万人
フィリピンの言語
フィリピンでは英語が広く共通語として使われており、アメリカ・イギリスに次いで世界で3番目に英語を話す人口が多い国です。フィリピン独自の言語で代表的なものはタガログ語。
もともとはマニラ周辺で使われていた言語で、テレビ・ラジオなどのメディアを通じて全土に広まりました。また、各地にはそれぞれ独自の言語も残っています。
歴史(主にスペイン統治時代から)
1521年 3月17日マゼラン隊サマール島に到着 4月27日マゼラン、ラプラプ軍との戦闘で殺害される。
1565年 4月27日レガスピ遠征隊、セブ島に到着。スペイン王子の名にちなんで、「イスラス・フェリピナ」と命名。後に「フェリピナス」と総称。
1571年 5月16日レガスピ隊。マニラに到着し占領。新植民地の主都とする。
1579年 初代マニラ司教にドミンゴ・デ・サラサール(ドミニコ会)を任命。
1861年 5月3日リサール、ラグナ州カランバに生まれる。
1896年 12月30日リサール、マニラ・バグンバヤンで銃殺。
1898年 4月25日米国議会、スペインに宣戦布告。6月12日アナギルド、カウィット(カビデ)でフィリピン独立を宣言。8月13日マニラのスペイン軍が米軍に降伏。
1899年1月23日フィリピン第一共和国、大統領にアナギルド選出。
1942年1月2日日本軍(第14軍)、マニラ占領 3月11日マッカーサー、コレヒドールを脱出。4月9日バターン半島陥落。バターン死の行進始まる。5月7日コレヒドール陥落。
1943年 5月5日東條首相マニラ初訪問。10月14日フィリピン共和国成立(第2共和制ラウレル大統領)。
1944年 10月20日米軍、レイテ島上陸。
1945年 1月9日米軍、リンガエン湾に上陸。2月3日 米軍、マニラ到着。2月7日米自治政府復帰。8月15日 日本降伏。
1946年 7月4日米国からの独立、ロハス大統領に(第3共和制)
歴代大統領
初代大統領 エミリオ・アギナルド 1899年1月23日~1901年3月23日
第2代大統領 マニュエル・ケソン 1935年11月15日~1944年8月1日
第3代大統領 ホセ・ラウレル 1943年10月14日~1945年8月17日
第4代大統領 セルヒオ・オスメニャ 1944年8月1日~1946年5月28日
第5代大統領 マニュエル・ロハス 1946年5月28日~1946年7月4日
第6代大統領 エルビィオ・キリノ 1948年4月15日~1953年12月29日
第7代大統領 ラモン・マグサイサイ 19853年12月30日~1957年3月17日
第8代大統領 カルロス・ガルシア 1957年3月17日~1961年12月29日
第9代大統領 ディオスダド・マカパカル 1961年12月30日~1965年12月29日
第10代大統領 フェルディナンド・マルコス 1965年12月30日~1986年2月26日
第11代大統領 コラソン・アキノ 1986年2月25日~1992年6月29日
第12代大統領 フィデル・ラモス 1992年6月30日~1998年6月29日
第13代大統領 ジョセフ・エストラーダ 1998年6月30日~2000年1月20日
第14代大統領 グロリア・マカパガル・アヨロ 2000年1月20日~2010年6月29日
第15代大統領 ベニグノ・アキノ3世 2010年6月30日~2016年6月29日
第16代大統領 ロドリゴ ドゥテルテ 2016年6月30日~
フィリピンにゆかりの深い2人の将軍(日本側)
本間雅晴・・・・・・フィリピン攻略時の司令官(第14軍)
陸軍士官学校19期 昭和16年11月第14軍司令官 17年8月予備役 21年4月マニラで刑死
山下奉文(ともゆき)・・・・・・マレー攻略作戦の司令官(第25軍)
陸軍士官学校18期 昭和16年11月第25軍司令官 17年7月第1方面軍司令官 18月2日大将 19年9月第14方面軍司令官 21年2月マニラで刑死
第14軍は方面軍に昇格、米軍のフィリピン攻略直前に山下将軍を迎える。
マニラについて
フィリピンの首都、マニラの正式名称は『メトロマニラ』
マニラ市をはじめとする17の行政地域の集合体がメトロマニラ(マニラ首都圏)
通常マニラと言う場合にはこのメトロマニラを指し、マニラ市はマニラシティと呼ばれている。
ボラカイについて
ボラカイ島は、パナイ島の北西に隣接する、フィリピン有数のリゾート島
島の西側に広がる約4kmのホワイトビーチには様々なクラスの宿泊施設、レストランやバー、ダイビングショップなどが並ぶ。
ビーチの砂はまるでミルクのような白さときめ細かさで、水深1.5mくらいの遠浅のビーチが沖合い50mまで続いており、海水の透明度も抜群
この真っ白なビーチが夕暮れには真っ赤に染まる。