安田講堂/東京大学大講堂(2024年12月) 学生運動でも象徴となった建物

日本の名所
安田講堂(大講堂)

東京大学の象徴のひとつ安田講堂、正式名称は東京大学大講堂

赤門を右手に通り過ぎ、正門から銀杏並木を通り安田講堂へ向かいます。
正門で身分証明書の提示を求められるかとも思ったものの、そのまま素通り。
構内に多くの中国人観光客がいたのにも驚きました。

安田財閥の創設者・安田善次郎の寄付によって建てられた大講堂。
戦前の財閥は諸々と諸問題もあることながら、現在に残すものも残しているだと感慨深いものです。

学生運動後に長らく講堂としては使われていないという時期も、既に過去のもの。
勇壮で歴史を感じさせる建物(実物を見たわけでないけれども)は、綺麗に生まれ変わっています。

建築家内田祥三について

安田財閥について

安田善次郎の家系について

ちなみにジョン・レノンと結婚したオノ・ヨーコは安田一族のひとり(安田善次郎のひ孫)

東京大学大講堂(安田講堂)
大正/1925
鉄筋コンクリート造4階建塔屋付、建築面積1818㎡
東京都文京区本郷7-3-1
登録年月日:19961220
国立大学法人東京大学
登録有形文化財(建造物)
ゴシック及び表現主義の影響が色濃く見られる垂直性の強いデザインが特徴。
外壁は赤茶色のタイル貼りで,意匠的に極めて優秀である。
設計は内田祥三,施工は清水組。昭和63年から平成6年にかけて改修が行われている。
内部は1136人が収容できる講堂で、平成3年からは学部別の卒業式・学位記授与式も行なわれています(平成26年には1年半に及ぶ耐震化、全面改修を完了し、震度7クラスの大地震でも天井が落ちない構造に、さらに床も、創建時のフローリング張りに戻されています)。
東大のシンボル的存在、安田講堂は1925年に竣工しました。東京帝国大学建築学科で教鞭を取っていた内田祥三(よしかず)が岸田日出刀(ひでと)とともに設計した講堂が、安田財閥の創始者・安田善次郎の寄附を受けて建設されたことがその名の由来です。
善次郎は匿名でたびたび寄附をしていたため、そうした行いは世に知られていませんでした。故に、蓄積した富を社会に還元しない悪徳者だと非難を浴び、暗殺されました。そこで、善次郎をしのんで安田講堂と後に呼ばれるようになったとのこと。親愛の情を持って安田講堂と呼びたいものです。
大講堂は、本郷キャンパスのほぼ中央、正門の正面に位置し、完成以来、各種式典の場であることはもとより、東京大学の精神的象徴としての役割を担ってきました。1970(昭和45)年前後の学生運動最盛期には、学生集団によって占拠され、後に警察力の導入によって排除されましたが、その過程で相当な破損を被りました。
その後、度重なる整備を実施、2014(平成26)年には耐震補強を中心にした1年半に及ぶ全面改修を完了して現在に至っています。
東京散歩、この日はJR水道橋から東大方面に歩き、正門から入り安田講堂三四郎池を見て池の端門から外へ。
上野不忍池をまわり寛永寺(不忍池辯天堂・清水観音堂)パンダ橋を渡って、JR上野駅。

タイトルとURLをコピーしました