小塚原回向院(2019年1月) 歴史上の人物の墓所/解体新書に関わる場所

日本の神社仏閣巡り
南千住で歴史を感じられる場所、回向院

南千住の回向院のあたりは、江戸時代には「小塚原」といわれ、品川の「鈴ヶ森」とともに処刑場があったところ

お寺の正面に大きな葵のご紋、入口左手には、昭和38年/1963年に発生した誘拐事件の被害者を供養するための吉展地蔵尊(よしのぶじぞうそん)が見えます。

吉田松陰の墓石

見どころは2つ

  • 歴史上の人物の墓所

案内プレートを参考にしたい

安政の大獄で刑死した吉田松陰や橋本左内など

吉田松陰について ↓ あまりにも有名なので誰でもご存じだと思うので、ちょっとこちらをリンク

さとう
さとう

余談ですが、ベトナムから世界に展開しているピザ店Pizza 4P’sの日本人創業者の祖先が松下村塾出身、明治維新の功労者高杉晋作。

美味しいピザ屋さんと言うことで、シンガポール在住日本人もベトナムに行く時には訪れるお店です(現在は東南アジアでも複数店、インドにも進出、日本への逆進出ありも、何故かシンガポールは未進出)。

今こちら↓の本を読んでいますが、海外で泥臭く創業する現実が描かれていて面白いです。店名を決める時の候補がTAKASUGIだったけれども値段が高いと連想するのもということで没・・・・・・というのも笑ってしまいました。
PIZZA FOR PEACE 世界で愛されるピザレストラン Pizza 4P’sの軌跡│宝島社の通販 宝島チャンネル

お店のウェブサイトはこちら↓

Pizza 4P’s Japan | “Oneness” Earth to People

橋本左内について ↓

こちらに二・二六事件の青年将校磯部浅一の墓もあり(安政の大獄で処刑された各人の目立つ墓石とは異なり、ごく普通のお墓)
実際には事件前の陸軍士官学校事件にて処分を受けて免官となっているため、事件の時には元将校が事実
陸軍士官学校事件には、シンガポールの華人虐殺にも関わったと言われる辻政信が関与

二・二六事件関係者のひとり

何故かカールゴッチの墓石もあり 何故ここにあるのか?などはこちら ↓

これらは史跡エリアとして公開

  • 解体新書刊行の裏付けとなった場所

杉田玄白や前野良沢らがここで刑死者の腑分けに立会い、「ターヘル・アナトミア」を翻訳し「解体新書」を刊行
これを記念して、本堂入口右手に「観臓記念碑」があり

記念プレートとしては建物の右側

 

山号 豊国山
院号 回向院
寺号 回向院
所在地 〒116-0003 東京都荒川区南千住5丁目33番13号
TEL 03-3801-6962
さとう
さとう

実は宿泊した和風の宿がこのお寺の裏側にあり、なかなか風情がありました。

なかなか気に入っていたのですが、残念ながら閉業。

回向院(えこういん)
さとう
さとう

現在は双方の回向院の関係は、どうもないようです。

江戸明暦の大火で焼死した無数の無縁の人々を葬るために、万治3年(1660)に建てられた本所深川の日向院(注:回向院の間違い?)は、その後、病刑死者を埋葬していたが、埋葬しきれない遺体を幕府から拝領していた千住の小塚原(こづかっぱら)縄手に、寛文7年(1667)一院を建て葬った。それが今回紹介する荒川区南千住の回向院である。 下記ウェブサイトより抜粋
2つの回向院(えこういん)
・東京都墨田区両国。諸宗山無縁寺。通称、本所回向院。明暦三年(一六五七)、四代将軍徳川家綱が明暦の大火での無縁の亡骸を葬る墳墓と念仏堂を建立し回向院となる。
・東京都荒川区南千住。豊国山。通称、小塚原回向院。慶安四年(一六五一)に新設された小塚原刑場の刑死者供養のため、本所回向院の住職、弟誉義観が寛文七年(一六六七)に常行堂を創建し開山された寺。

江戸の刑場だった土地などについては、下記のウェブサイトに説明あり
気になる方はご参考してください。

鈴ヶ森刑場跡(品川区南大井)
小塚原刑場跡(荒川区南千住)
板橋刑場跡(板橋区板橋・北区滝野川)
大和田刑場跡(八王子市大和田町)
伝馬町牢屋敷跡(中央区日本橋)
涙橋(品川区南大井)
獄門場跡(品川区南大井)
三軒家(北区滝野川)
平尾一里塚跡(板橋区板橋)
馬捨て場跡(北区滝野川)