NHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」でもおなじみの吉原、そこにある吉原神社と吉原弁財天本宮(奥宮)
まさか2019年には大河ドラマの舞台が吉原になるとは思いませんでしたが、南千住のホテルに泊まったおりに、歩いて散策。
吉原神社と吉原弁財天本宮は、近くにあるので、神社に行くのならば吉原弁財天本宮もお見逃しなく。
吉原弁財天本宮にある慰霊の観音像、そして池をまわり壁画のある本宮の方へ
大正15年の関東大震災において境内に避難してきた多くの人々は火災の渦に巻き込まれて焼死、また境内弁天池に飛び込んだ方々も溺死しておよそ500人の尊い命が奪われました。その慰霊のために大正15年6月に建立されたのが吉原観音像(大震火災殃死者追悼記念碑)で、今日でも日々慰霊の祈りが捧げられており、毎年9月1日には慰霊祭が執り行われます。
神社のオフィシャルサイトには上記の説明があるものの、関東大震災があったのは大正12年なので記載ミスあり。
作家・僧侶の家田荘子が定期的に供養をしている場所としても知られています。
明治14年(1881年) 新吉原にあった五つの稲荷社を合祀、総称して吉原神社(当初は吉徳稲荷社旧地にお祀り)。
大正12年(1922年) 関東大震災にて焼失。震災後は水道尻付近の仮社殿にてお祀り
昭和9年(1934年) 現在地へ新社殿を造営、そのさい新吉原隣接の花園池に鎮座する吉原弁財天も合祀。
昭和20年(1945年) 東京大空襲で焼失。
昭和43年(1968年) 現社殿が造営。
吉原神社は、かつての吉原遊廓の五つの稲荷神社と遊廓に隣接する吉原弁財天の合計6つの神社(神さま)
・九く郎ろ助すけ稲いな荷り(縁結び・五穀豊穣・所願成就の神さま)
「吉原大全」九郎助稲荷の事(明和5年・1768)
飢饉うちつづきける時、人々より集り、此神へ立願せしかば納受ありて年ゆたかなりけり。是よりいよいよ神威をまし、所願成就せずといふ事なし(中略)今よし原にて、えんむすびの神として立願す
・吉徳稲荷(縁結び・家内安全・商売繁盛・五穀豊穣の神さま)
・榎本稲荷(家内安全・商売繁盛・五穀豊穣の神さま)
・明石稲荷(火災除け・町内安全の神さま)
・開運稲荷(開運・幸運・幸福を招く神さま)
・吉原弁財天(開運・財運・歌舞音曲芸能上達・弁舌の神さま)
なお吉原弁財天は吉原神社と吉原弁財天本宮の2ヶ所におまつりされています。
・九く郎ろ助すけ稲いな荷り(縁結び・五穀豊穣・所願成就の神さま)
「吉原大全」九郎助稲荷の事(明和5年・1768)
飢饉うちつづきける時、人々より集り、此神へ立願せしかば納受ありて年ゆたかなりけり。是よりいよいよ神威をまし、所願成就せずといふ事なし(中略)今よし原にて、えんむすびの神として立願す
・吉徳稲荷(縁結び・家内安全・商売繁盛・五穀豊穣の神さま)
・榎本稲荷(家内安全・商売繁盛・五穀豊穣の神さま)
・明石稲荷(火災除け・町内安全の神さま)
・開運稲荷(開運・幸運・幸福を招く神さま)
・吉原弁財天(開運・財運・歌舞音曲芸能上達・弁舌の神さま)
なお吉原弁財天は吉原神社と吉原弁財天本宮の2ヶ所におまつりされています。
地図を見ると日本堤(にほんづつみ)から新吉原へ向かう道も昔の面影が残っています。
2019年1月1日のスケジュール(徒歩散策)
台東区立一葉記念館・・・・・・お正月のため、休館(休館日:月曜日、年末年始、特別整理期間、*月曜日が祝日の場合火曜日)
吉原神社
吉原弁財天本宮
浅草 鷲神社
鷲在山 長國寺(法華宗本門流)
光照山 西徳寺(真宗佛光派)・・・・・・中には入らず
飛不動 龍光山正寶院(天台宗)
自家焙煎珈琲屋 バッハ(12時くらい)
*ホテルに戻る
南千住駅近くのショッピングモールへ
パン工房AntenDoにて食事(14時くらい)
御宿ちよだ見つける(次回泊まってみようと計画)
小塚原回向院(浄土宗)
豊国山 延命寺(浄土宗)
*ホテルに戻る
三ノ輪橋(停留場)
*ホテルに戻る
この一時帰国で宿泊したのはホテルアクセラ