映画「国宝」シンガポールで上映(2025年12月) シンガポール映画祭に公開決定/内容を数倍楽しめる基礎知識

シンガポール現地情報
ついにシンガポールでも映画祭で公開!*写真は日本の映画館にて

日本で大ヒットした映画「国宝」、この国でもシンガポール映画祭/Singapore International Film Festival (SGIFF)で公開が決まりました。

伝統芸能に生きる男たち、それを支える女性たち、家族愛師弟愛が絡んで、どろどろとした愛憎劇。
泥沼に咲く蓮の花のようにきらびやかな舞台。

古典芸能の歌舞伎を題材とした話題の作品が、シンガポールでも観られるとは思いませんでした。
吉沢亮と横浜流星を始めとして、豪華俳優陣がめじろ押しの大ヒット映画、楽しみですね。

シンガポール映画祭「国宝」紹介ページ↓

上映は、12月7日(日曜日)10:00 / 175 分
Golden Village Suntec Hall 6

映画「国宝」」をもっと楽しむための基礎知識

さとう
さとう

映画を観るに際して押さえておきたいことを、一時帰国時(2025年9月)で観てきた経験から、予備知識として記載しました。
まっさらな状態で映画を観たい方は、以下は読まないようにしてください。
歌舞伎に詳しい方は読む必要はないはずです。

歌舞伎について

古典芸能として知られる歌舞伎は、江戸時代に成立した大衆演劇から発展。
能(勧進帳 元は安宅)や人情浄瑠璃(曾根崎心中)などから作り上げた演目あり。

歌舞伎界のことを梨園(りえん)とも言いますが、(唐の玄宗皇帝が梨の植えている庭園で自ら音楽を教えたという故事から)特に歌舞伎役者の社会を示す言葉(広辞苑より)。
400年ほど前に流行し、奇抜で異様という意味から「かぶき踊り」と呼ばれた踊りが、歌舞伎の始まり。
他の芸能や文化と交流しながら、外来の楽器を用いた音楽や、複雑な物語による構成など、新しい要素を次々と取り入れて、総合的な演劇として成立。
都市に生きる庶民から大きな支持を得る一方、すぐれた作者や俳優たちによって、さまざまな創作や改良がなされ、19世紀半ばまでに現在も上演される作品・演出の多くが成立。
明治以降は古典となっていく一方、新しい作品も生まれ、近代的な要素も積極的に取り入れながら、今もさかんな人気。

歌舞伎役者が舞台で大役を演じ活躍するには、その家柄と後ろ盾となる親の存在も影響します。
歌舞伎の家の生まれでも、父親が早死にしたり、廃業したり、両親が離縁し梨園から離れると難しいものがあるようです。

例:中村獅童、市川中車(香川 照之)

また、歌舞伎の血筋でない役者は、存在は必要ながらあくまでも脇を固める役割。
才能が認められた役者は、端役を脱するために、また師匠がその将来を見込んで部屋子にしたり、養子縁組を結んだりもします。

一般家庭から歌舞伎の世界に入るため国立劇場伝統芸能伝承者養成所もあります。

映画「国宝」の中でも、血筋と才能というモチーフがその下地にあります。
上方歌舞伎の中村鴈次郎(屋号:成駒屋)がキャストと演技指導を兼ねています。

歌舞伎については、NHKアナウンサーだった山川静雄氏に著作も多くありますので、興味のある方はどうぞ!
屋号に関係するところでは、歌舞伎座で合間にタイミングよく「成田屋!」「高麗屋!」など、掛け声をかける人たち、歌舞伎鑑賞の常連客の大向こうについて書かれた本も面白いかも知れません。

女形について

初期の歌舞伎には女性が舞台にあがっていたものの、風紀の乱れということから禁止。
その後男性役者が女性を演じるようになったもの。

映画では主人公たちは女形を演じます。

現在の有名な女形としては、五代目坂東玉三郎がいます。
十四世守田勘弥(先代の玉三郎)の部屋子、のち養子縁組。

ちなみに、幅広い演技で知られる片岡愛之助も同様に、部屋子からの養子縁組となります。

映画の主人公も部屋子となり、養子縁組の話も・・・・・・(この辺りはストーリーにも関わる話なので、この程度にて)。

曾根崎心中について

近松門左衛門作の人形浄瑠璃としての作品「曽根崎心中」を歌舞伎に作り替えたものが映画「国宝」の中で演じられる劇中劇として肝になります。

ちなみに、演技指導中村鴈次郎(上記記載)の父親坂田藤十郎は曾根崎心中のお初役でも有名です。

劇中劇となる曾根崎心中については、わかりやすい記事をみつけましたので、あわせてご参考にしてください。

人形浄瑠璃については、文楽協会の公式サイトご参照。
谷崎潤一郎の「蓼喰う虫」にも題材ででてくる人形浄瑠璃とは?

松竹と歌舞伎巡業

映画「国宝」で松竹の経営者とも思える嶋田久作演じる梅本。
何だ、このおっさん???と思わないように、松竹と歌舞伎の関係は押さえておきたいところ。

1890(明治23)年、京都祇園の地にあった祇園館という劇場に、当代一の歌舞伎俳優であった九代目市川團十郎が出演し、上方の花形俳優として活躍中の初代中村鴈治郎が共演することとなり、大きな話題を集めました。
祇園館館内の売店の手伝いをしながら、目をきらきらとさせながら食い入るように見つめていた双子の少年たち(松竹の創業者である白井松次郎と大谷竹次郎)。
のちに大谷竹次郎は、「芝居というものに私が一生を捧げて悔いない気持ちになったのは、あとで考えてみると、14の年の正月に祇園館の團十郎、鴈治郎の舞台を見てからだ」と語っているように、 この歴史に残る名舞台が、120年以上にわたって演劇、映画の製作、興行を社業としている松竹誕生のきっかけ。

原作は吉田修一

芥川賞作家でありながら、エンターテインメント作品でも良質の作品あり。
作品の映画化も多い作家のひとりです。

歌舞伎役者の女性関係

歌舞伎役者として名を継いだ人も正妻の子でないなどもあったように、外に子どもがいる方もそう珍しい事ではないようです(現在活躍している歌舞伎役者も庶子あり)。

さとう
さとう

ちなみに映画「国宝」は、配給は東宝というのも、その内容にも関係するのか?と邪推したりもします。

ちょっとゴシップ的な記事ですが、こういう土壌で生きている人たち、ということかも知れません。
映画では、芸のためならばというフレーズも出てくるので、そういう視点もあり。

 余談ですが、糖尿病怖いなぁと思いました。

そうだ、歌舞伎座に行こう!