シンガポールの戦跡/昭南神社(2006年5月) マクレッジ貯水池からジャングルの中へ

シンガポールの戦跡
ジャングルの中にひっそりと残る昭南神社跡

シンガポールが日本に占領されていた頃、この土地にも神社が建立されていました。
伊勢神宮を模して建てられた昭南神社は、敗戦時に日本軍により爆破・破壊されたようです(他説あり)。

訪問時(2006年)には、手水処や石段がジャングルと化した密林の中に残っていました。
まさに「つわものどもがゆめのあと」と言った感じの廃墟。
自然にのみ込まれていく人工物、どこか人間のちっぽけさを感じさせもします。
そう言えば、あの巨大なアンコールワットもジャングルの中で眠っていたようで・・・・・・。

最近行かれた方のブログ等を読むと、下記の手水処の草や土砂が綺麗にどけられてその構造があらわになっています。
2006年当時は全然人が立ち入った感じがなく、まさにジャングルの中でした。

手水処は、2006年当時は草や土砂に埋もれていました

東南アジアに長く住む中、被害にあった地元の人たちにも想いを馳せるようになりました。
勿論のこと、今のモラルで当時の世界を語ることは難しく、淡々として史料を漁り歴史を考えることが肝要だとも思えます。

紛争の絶えない昨今ですが、8月15日この日に改めて「世界が平和でありますよう」願いを込めて!

さとう
さとう

訪れた当時は立ち入り禁止の標識もなく、トレイルを外れて歩いて行けました(実際は違反行為だったかも知れません)。
過去にはトレイルを外れて密林に入り、救助された人も複数います(中には日本人も)。
あきらかに立ち入り禁止の表示があれば、立ち入る行為自体が罰せられる可能性もあることをお忘れなく!


「南進の「聖地」昭南の成立-戦時下における高丘親王顕彰と戦跡巡拝-大平晃久」
jinbunkagaku84_281.pdf
上記研究によると、

シンガポールが陥落すると,日本軍はシンガポール島の中央部,マクリッチ貯水池西端の北岸に昭南神社の建設を進めた。
太平洋戦争中,占領地にこれほど大規模で本格的な神社が建設されたのはこのシンガポール=昭南だけである。
昭南神社はシンガポール陥落直後から軍によって構想され,上述のように1942年4月14日付新聞記事ですでに着工の見通しが報じられている。
神社の工事は11月には完了と報じられ,1943年2月15日に天照大神を祭神として迎え入れる鎮座祭が挙行。

高丘親王と言えば、澁澤龍彦の「高丘親王航海記」
大平氏の論文と合わせて、こちらの小説(以前の文庫本の白い装丁が綺麗でしたが・・・・・・)のほうも読み直してみたいと考えています。

ご興味のある方はどうぞ、ご参考までに!

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