重要文化財/東大赤門(2024年12月) 修繕工事中の赤門を眺める

東京散歩
東京大学のシンボル赤門

2024年12月に東大本郷キャンパスに行った折に有名な赤門を見学

ブラタモリでも紹介された赤門、東京大学と言えば安田講堂と共に連想する建物のひとつです。
加賀百万石と東大▼奇跡の赤門&大名庭園!前田家が残した“宝” | ブラタモリ | NHK

さとう
さとう

一時帰国時のこの日の東京散歩は、JR水道橋で降りて東洋学園大学(元東洋女子短大)脇の坂を登り、東京大学本郷キャンパスを散策して、不忍の池から寛永寺(一部参拝)に抜けてJR上野駅までのコース。

加賀藩主前田家上屋敷の御守殿門(ごしゅでんもん)である赤門は、1827(文政10)年、第12代藩主・前田斉泰(まえだなりやす)が11代将軍・徳川家斉の娘、溶姫(やすひめ)を正室に迎えるにあたって建築された門。
1868年、本郷の春木町から大火事が迫りました。延焼の危機でしたが、幸い焼失は免れました。明治維新の際に金沢に戻っていた溶姫は、同年6月に逝去。赤門は溶姫用の門なので撤去されてもよかったはずですが、残りました。
文政10(1827)年建立
赤門の呼名で広く一般に知られているこの門は、元加賀藩上屋敷の御住居表御門であった。明治36年現在の位置へ移されたが、元は15メートルほどキャンパス寄りに位置していた。明治30年頃から始まる医科大学の建設のためであったという。文政10(1827)徳川第11代将軍家斉の第21女溶姫は、加賀藩第13代藩主前田斉泰に輿入れした。赤門はこの時溶姫を迎えるため建てられたものである。江戸時代における諸侯邸宅門の非常に優れた遺例として、昭和6年国宝に指定されている(現在は重要文化財)。中央は中心の柱から屋根が少しずれる薬医門の型式で、切妻造、本瓦葺となっている。その左右に唐破風造本瓦葺の番所を置いている。このような例はあまり多くない。さらに海鼠塀本瓦葦の繋塀が、左右に配されて、加賀百万石にいかにもふさわしい豪華な構造と構成を誇っている