ノースブリッジロードとサウスブリッジロードを分ける橋、Elgin Bridge/エルギンブリッジ
この橋を境に北側(東側)をNorth Bridge Road/ノースブリッジロード、南側(西側)をSouth Bridge Road/サウスブリッジロードとなります。
ノースブリッジ側はイギリス統治下の公的建物が立ち並ぶ地区、サウスブリッジ側は中国からの移民が溢れる地区です。
住むエリアは強制化されていなかったため、その後インド系移民はセラングーンロードの方に移り、海南からの中国人移民はラッフルズホテル近くに居を構えます。
1862年に建設されたこの橋は、インド総督(1862–1863年)および第8代エルギン伯爵であったジェームズ ブルース エルギン卿にちなんで命名(この橋は1927年まで使用)。
現在の橋は同名で2代目の橋(1929年5月30日に開通)。
ジェームズ・ブルース・エルギン卿と言えば、1858年の日英修好条約に関わる人物
外務省:特別展示「日英交流事始―幕末から明治へ―」日英関係のあけぼの 概説と主な展示史料
自由貿易を望む英国は、日英約定の開港規定だけでは満足せず、天津で清国との通商条約を結んだばかりのインド総督エルギン(James Bruce, 8th Earl of Elgin and 12th Earl of Kincardine)に、日本とも通商条約を締結するよう命じた。その結果、1858年8月26日(安政5年7月18日)、「日英修好通商条約」が調印され、翌年7月11日(安政6年6月12日)、批准書が交換された。
シンガポール川にかかる最も古い橋は、1822年から1823年にかけて、現在のエルギン橋の場所に建設されたもの。
フィリップ ジャクソン中尉の指揮のもとで建設されたこの木製の歩道橋は「プレゼントメント ブリッジ」(別名モンキー ブリッジ)
1827年から1842年にかけて多くの修理が行われた後、プレゼントメント橋は解体。
1844年 J.T.トムソン設計の木製歩道橋に置き換えられ、トムソンズ ブリッジと改名。
1845年 馬車が通行できるように橋が拡幅・改修。
1862年 トムソンズ ブリッジをカルカッタから輸入された鉄製の橋に置き換え。
技師ジョージ・ライオンによって建設されたこの構造物は、インド総督エルギン卿にちなんでエルギン橋と命名。。
1886年 路面電車のために拡幅・補強。
1926年12月23日に閉鎖され、1927年1月に車両や歩行者の交通量に対応するため解体。
新しい構造物は市の橋梁技師T.C.フッドによって設計(自身も建設を監督)。
1929年5月30日 正式に開通した現在のエルジン橋は、同じ場所に建設された4番目の橋。
コンクリートで覆われた鉄骨構造です。橋の鋳鉄製の街灯柱と円形装飾はイタリアの彫刻家カヴァリエーリ ロドルフォ ノッリによってデザイン。
フィリップ ジャクソン中尉の指揮のもとで建設されたこの木製の歩道橋は「プレゼントメント ブリッジ」(別名モンキー ブリッジ)
1827年から1842年にかけて多くの修理が行われた後、プレゼントメント橋は解体。
1844年 J.T.トムソン設計の木製歩道橋に置き換えられ、トムソンズ ブリッジと改名。
1845年 馬車が通行できるように橋が拡幅・改修。
1862年 トムソンズ ブリッジをカルカッタから輸入された鉄製の橋に置き換え。
技師ジョージ・ライオンによって建設されたこの構造物は、インド総督エルギン卿にちなんでエルギン橋と命名。。
1886年 路面電車のために拡幅・補強。
1926年12月23日に閉鎖され、1927年1月に車両や歩行者の交通量に対応するため解体。
新しい構造物は市の橋梁技師T.C.フッドによって設計(自身も建設を監督)。
1929年5月30日 正式に開通した現在のエルジン橋は、同じ場所に建設された4番目の橋。
コンクリートで覆われた鉄骨構造です。橋の鋳鉄製の街灯柱と円形装飾はイタリアの彫刻家カヴァリエーリ ロドルフォ ノッリによってデザイン。
