ビジネス街にある巨大なKopitiam(コーヒーショップ)Lau Pa Sat/ラオ パ サ

さとう
平日のお昼は付近のビジネスマン&ウーマンでいっぱいになるラオ パ サですが、夜となると横道が歩行者天国となり、サテークラブがオープンします。
1822年 スタンフォード ラッフルズが「東洋のエンポリウム」として建設を委託。(初代東インド会社シンガポール責任者)ファーカーがその場所を決める。
1825年 トレードマークである八角形の形状が最初に建設(建設資金は商人のタン チェー サン/別名インチェ サンによって提供)。Tan Che Sang
1833年 元の構造が安全でないと判断されたため、G.D.コールマンの後援で市場が再建。
1879年 テロック・アヤの埋め立て工事の結果、市場は撤去。
1890年 新しいテロック アヤ市場の建設が始まり、1894年に完成。
ジェームズ マクリッチーによって設計されたこの市場は、元の市場の八角形の形状を模して設計。
1909年 生鮮市場は営業を継続。
1972年 周辺の商業活動により生鮮市場は不要となり、改装されてフードセンターに転用
1973年 市場は国定記念物に指定
1984年 市場を解体し、後で再組立てを決定。
1985年 少なくとも140人の屋台が営業を停止し、ほとんどが通りの向かい側のトランジット・フードセンターに移設。
1986年 市場は慎重に解体され、部品はタグを付けてジュロンに保管。
1989年 シンガポール観光振興局(現シンガポール観光局)による680万シンガポールドルの改修工事を受け、再建され、ラオパサと改名。
1990年 ルネッサンス・プロパティーズに賃貸され、「フェスティバルマーケット」に改装。
1992年 日本の請負業者熊谷組による1,000万シンガポールドルの改修工事を経て、テロック アヤ フェスティバル マーケットとして再オープンし、飲食と娯楽を兼ね備えた複合施設。
1995年 シンガポール観光振興委員会がコピティアムグループに24年間のリース権を付与。
1996年 コピ・ティアムがさらに400万シンガポールドルを投資し、市場は24時間営業のフードコートとして再オープン。
2014年 9か月に及ぶ400万シンガポールドルの改装工事を経て、6月30日にホーカーセンターが再オープン。
レイアウトは、日との行き来と空気の流れを改善し、座席数を増やすことを目的。
換気を改善するための大型天井扇風機やライブパフォーマンス用のステージも設置。
内部の一部は1894年に完成した元の建物と同様に緑色に塗られ、時計塔も修復。
Former Telok Ayer Marketyより
Lau Pa Sat/ラオ パ サ
18 Raffles Quay Singapore 048582
